朗読検定は何のためにあると思いますか?

朗読を「画一化するため」ではありません。

朗読の「技術や知識の体系化」だけでもありません。

より多くの人が、朗読を楽しめるようにするための「検定」なのです。


既に、朗読をやってみたことがある方はお分かりだと思います。


意外に簡単であること。
意外に楽しいこと。
意外に若い人もやっていること。


そう、全部、「意外に」と思われているのです。

「本格的な人以外はやっていなさそう。」
「人前で読むのって、緊張するのに、楽しいのかな?」
「お年寄りの趣味でしょう?」


と。

実は、朗読という文化の歴史は長いです。
何せ、黙読の読書よりも長いので、1000年以上はあるはずです。
※現代では普通ですが、実は、文字が読めるようになることは大変なことだったのです。


だから、本格的な発表会が目立ちますし、
作品もマニアックなものを読まれる方も多いです。


だから、難しそうに思われていて、


「私には無理。」


と思っている方も少なくありません。

お年寄りの趣味、と書くと誤解を受けるかもしれませんが、
要するに、


「お年寄りが、古い文学を懐かしむためにすること」=朗読


こう思われているということなのです。

それは一面としては正解なのですが、

こういった誤解が多いのが朗読界の“一つの現実”です。


ちょっとここで、お話を「検定」に切り替えます。
「検定」は、ブームです。
様々な検定があります。


ですから、「検定慣れ」している世の中であると言えます。
「検定」と付くだけで、


ある種の親しみを感じる


というレベルです。

どの検定もそうですが、一番の目的は、


その文化の人口を増やす


ことにあります。

特に、新規で始める人たちを増やす目的です。
「入門級」がそれにあたります。
今の朗読検定でいうと、4級がそれにあたります。

新たに始める人が増えなければ、その文化は、いずれ廃れていきます。


さて、

「朗読の良さ」って何でしょうか?


色々な答えがあると思いますが、


人がすることのぬくもりを感じられること


これに尽きるのではないでしょうか。


インターネットが普及し、
私たちは、家の中にいながらにして、世界中のサービスや商品が買えるようになりました。
人を介せずに。

でも、


実際にお店に行って買うほうが、100倍楽しくありませんか?


だから、
外国から日本に、多くの旅行者の方がみえたり、
私たちも日本国内や、外国に旅行に行ったりするのです。

インターネットで買うのとは違い、

その国、
地域の人と、
リアルに接する機会があります。

人のぬくもりを感じられるのです。


朗読や、読み聞かせは、その原点です。

こんな大切なことを廃れさせてはいけないのです。

日本だけではありません。
世界中、どの国でも。


だから、敷居を低いところに持っていき、
新たに始める人が、始めやすいようにする。


これは、他の形ではこんなものがあります。


朗読劇にしたり、
ピアノやハープなど、楽器と朗読のコラボイベント、
戦場カメラマン 渡部陽一さんとおこなった、「みんなの朗読コンサート」


どのアプローチも、敷居を下げる意味が含まれています。


朗読ではない、他のジャンルでもおこなわれています。
歌舞伎俳優や能楽師の方が、TVドラマや映画に出ることもそうです。

“多くの人に気軽に、
良さ、楽しさを知ってもらいたい”


その想いが込められているのです。

私たちが朗読を「検定」にするのも、そういった意味、想いがあるのです。
いわば、メッセージです。


知識や技術の体系化というのは、初歩、つまり、階段の一段目から作るという事です。
でも、一段目や最上段を作るだけでは、今、自分が何段目にいるのかわからず、かじっただけで終わってしまう人を増やすことになります。

だから、「検定」なのです。

新しく始める人を増やすだけではなく、
続ける人を増やすこと、
続けられる仕組みをつくることが、
その文化を衰退させないカギ
となるのです。

もし、このメッセージが伝わったのならば、私たちを応援していただけませんか?

応援の仕方は、

「朗読の教科書」をご購入
朗読検定の受検
通信講座の受講
イベントにご参加
認定教室や提携教室になる
朗読インストラクターになる

また、企業や団体様がご寄附くださることや、私たちの活動を多くの方に知らせてくださることも、尊い応援となります。

誇れる国づくりは人づくり。
人づくりは朗読から。

今後とも、一般社団法人日本朗読検定協会をよろしくお願い申しあげます。