※義理の父の、母が亡くなった時の挨拶の手紙より

語り尽くせぬ感謝を「ありがとう」に込めて

若くして父が先立ち、以来母と息子三人肩を寄せあって暮らした日々。
戦中戦後の厳しい時代、父親と母親という二人分の役割をその小さな肩に背負い、苦労も決して少なくはなかったでしょうに・・・。

それでも母は愚痴一つこぼすことなく、来る日も来る日も働いて、私たちを必死に育て上げてくれました。

幼い頃の記憶を辿ってみても母と共に遊んだ記憶はあまりなく、せっせと仕事に励む後ろ姿ばかりが瞼に浮かびます。


一生懸命頑張った分、晩年は兄弟やお仲間との旅行を楽しんだり、大好きな歌を歌ったりと、のんびりした穏やかな毎日を送っていました。

何より楽しみにしていたのは、孫やひ孫達の顔が見られる盆や正月だったでしょうか。

私達が幼いころに、仕事が忙しく、あまり思い出作りができなかった分を取り戻すかのように、孫やひ孫達皆を別け隔てなく可愛がり慈しんでおりました。

年の瀬が迫ると「お年玉をやらなきゃ」とウキウキと準備をしていた時の、嬉しそうな母の表情が今も頭から離れず、涙がこみ上げて参ります。

別れの寂しさはひとしおですが、今はただ、その人生を精一杯輝かせ、静かに眠りについた母が、きっと幸せだったと信じ、感謝の気持ちで見送ります。

母は、平成二十三年九月五日、満九十三歳にて遥かな空へ旅立ちました。


共に歩み、母の人生に彩りを添えて下さった全ての皆様へ深く感謝を申し上げます。


本日のご会葬、誠に有難うございました。





私事ですが、先日、義理の父の母が亡くなり、その際に義父がこの文章を朗読しました。

義祖母の主人は、たった二十三歳という若さで戦死したそうです。

先の太平洋戦争(第二次世界大戦)での、二度にわたる出征だったそうで、

祖母の口癖は、


「戦争は嫌いやで。 勝っても負けても嫌いやで。」


だったそうです。


私は自分の祖母が亡くなった時にも泣いたことが無かったのですが、父の朴訥とした朗読で、涙が流れました。

自分の中から紡ぎだされた、嘘偽りのない思いが込められた文章や言葉には、それだけで人を感動させる力があるのだと、そう思いました。


と同時に、

「何で朗読を検定するんだ!」


と言う人の気持ちも、わかるような気がしました。



しかし、それでも私は、朗読検定があることで人に夢や希望を与えることができると思っています。誰でも仕事として、「朗読家」や「朗読講師」になれるという未来を創造するからです。

また、人が紡いだ言葉や文章を、“より”聴き手に伝えるには、
基礎となる知識や技術が必要です。

そして、その学んだことが身についているか確認をするのが「テスト」。
つまり、検定です。

ピアノだって、級がある。
スイミングだって、級がある。
柔道、空手も級、段がある。

表現者、アスリートとなる入り口に、
級や段を認定するテストがあることは珍しいことではありません。

「級」があるから、得意意識が芽生えるのです。
得意意識が芽生えれば、学習意欲も高まります。

何かを学ぶ、習得する、ということに最も重要なのは、
学習意欲です。

どれも、コンクールや試合があります。
コンクールや試合は、必ずしも、
級や段のレベルが高い人が勝つとは限りません。

勝ち負けも、入れ替わりがあります。
それが戒めとなります。

(自分は、まだまだ学びの途中だ。)
(段を取ったからといって、胡座をかいていてはいけないな。)

と。
 

私は、何かのきっかけで朗読に出逢った人が、

「私も、あんな風に朗読ができたらなぁ・・・」


そんな憧れ、夢を持った時、上達のための選択肢の一つに、朗読検定が出てくるようになれば、亡くなった祖母にも胸が張れると思っています。


最後に。

おばあちゃん、僕の息子たちを愛してくれてありがとう。